個人的な「神」解釈
来年の今頃はもう平成ではなく
違う年号になっている
震災の時、被災地に天皇陛下が訪問する姿が報道されてて、
体育館なんかでダンボールの仕切りで何世帯もが避難しているところに
天皇陛下がお見舞いに行くと
皆、涙を流して喜び、誰もが「元気が出た」と口にしていた。
自分が被災した人と同じ立場なら
同じように涙を流して有り難がるかなと考えると
やっぱり凄く喜ぶんだろうと思う。
天皇について勉強したわけではないけど
昭和8年生まれの84歳。
沖縄で火炎瓶を投げつけられ
被災地訪問では相手の目の高さ
日本のことをずっと見てきて
すごい水準の教育を受けてきて
日本のことを物心ついたときからずっと考えてきた人と言っていいのに
戸籍と選挙権がない。
自分の個人的意見を言えない。
この「国の象徴」という宿命のことを考えると
自由な一国民としては
税金を宮内庁に使われていることに何の文句もありません👏
こんなに凄い人なら
神と仰ぐ人が未だにいるのも分かる。
最近では「神ってる」や「神対応」という
神の動詞化っていうのかな、、
が普通になっているが
日本人の「神」概念は曖昧に広がるんじゃないかと個人的には考えている。
つまり時代劇でよくある
「おかみ」というのは「お上」で、城主・お殿様っていう意味合い
また女性を指して
「おかみさん」というのもあるけど
「長屋のーー」「料亭のーー」っていう言い方から転じて「うちのカミさんがさぁ」など家族にも持ち込まれた。
が、元々は遊郭のトップにたいする言い方かと思う。
個人的にそう思うだけだけど、長屋ってのは水商売のイメージがつきまとうから。
もとを辿れば遊郭の長かなと。
漢字は違うけれど
「カミ」というのが「神」から「上」に派生するというのは普通に考えられることだよね?
日本はいろいろなものに「神」を見出す文化があるから
概念が転じて「うえの物」的な解釈が許されるんだろうなと思う
(日本が許されるという言い方をしたのは、
もちろん欧米が許されない宗教観、唯一神
だからで、これに対して軽く解釈を広げられないから。)
世界には凄い人がたくさんいると思うけど
宗教観など省いてフラットな目線で考えても
今生天皇、美智子妃もその一人であると
言えるんじゃないか。
平成が終わる年、
世界の宗教について考える時、
「神」という言葉を重く捉える夏子でした。
『マンマミーア!』解釈
めっちゃ楽しい映画\(^o^)/
楽しいだけの映画?
メリル・ストリープが出てるから
なんとなくいい物に思えるだけ?
と引っかかったので、これがどういう映画なのか考えてみたよ
ストーリーはぶっ飛ばすのでよろしく✌︎
まず、なんで父親探しするの?
十分幸せそうなのに問題。
この子は結婚を明日に控えて
相手ともなんの確執もない。
母親ともとっても仲良し。
でも本当は心に空いた穴があるってセリフにあるねー。それは父親の正体を知ること=自分は何者なのかを知ること
で、この母親、メリル・ストリープだけど、信じられないくらい元気だしはっちゃけてる。
この人たちは何者かっていうと
60年代にカウンターカルチャーを起こしたヒッピーだね。
こういう格好、若き日のピアースブロスナンがしてたさ
ヒッピーが大事にしたのは
愛・自由恋愛・ロックンロール・ドラッグ
ヒッピーについてはフォレストガンプを見れば、フォレストの恋人がヒッピーだから分かるよ。
彼らはベトナム戦争や、ベトナム戦争を起こした自分たちの親の世代へ反抗する意味を込めて革命を起こしたんだ。
キリスト教の教えを破っていこうってかんじ?
んでそのヒッピーが自由恋愛、自由セックスをした結果が
この子だよね。
父親がだれか分からずに、候補を3人とも結婚式に招待するという常識はずれな行動。
母親はといえは未だにヒッピー風オーバーオール。貧乏なホテルの経営者にしてシングルマザー、といういわゆる敗者状態。そこにやって来たかつての恋人達はみんなロックンロールもヒッピーも辞め、キチンとした格好。そして富。
そんな母親を見ていてソフィーは、ホテルを継ぐつもりでいる。
でも冒頭で海を前に「アイ ハーバァ ドリーム」っつってるんだから、その気持ちが本心ではないことは観客には分かっちゃうよねー。
だからさ、この映画のメインテーマは
『ヒッピーを親に持つ子の不幸』だよ。
でも夏子の読みはちと甘くて、どうして舞台がエーゲ海なのかは分からないんだよね。
ヒッピーを描くならアメリカじゃないかと思うんだけど、ヨーロッパにもヒッピー文化ってあったのかな?
それに夏子の読みの通りなら、なんでこんなに明るいのか、皮肉っぽいところが全然見当たらないし、全体的な雰囲気と矛盾することになる、、。
アバを復活させるための、火付け役的映画ではないことを祈る🙏そーいうお金目的の映画に出演するメリル・ストリープやコリンファースではないはずだよ。
んー。
間違ってるかなー(笑)
この世で1番偉大なもの
夏の終わりという映画
これは瀬戸内寂聴の自伝的な小説の映画化らしい
一言でいうと不倫の話。
不倫てなかなかやめられないよねって話。
不倫てしたことないし分からないんだけど
この話の満島ひかりのセリフで
「何よりも1番に力のあるものは習慣だ。愛よりも真実よりも正義よりも、習慣。何が正しいのか、何が間違っているのか頭では分かってても習慣には勝てない」
みたいなのがあるわけ。
いや記憶が曖昧だから全然正確じゃないけどおおよそこんな内容だった。
このセリフにすごい納得して、映画の内容忘れても、これだけ覚えてるんだよね。
不倫がいけないことなのは分かってるけど、その習慣から抜け出すことはとっても困難だ
って話の文脈ではそういう解釈になるけど、これ何にでもあてはまるよなーって。
というか日本全体なんにでも言えることだと思った。
そして自分自身でも食べた後のお皿、すぐ洗った方がいいのは分かってるんだけど、結果朝洗う。習慣には勝てん(笑)
それは自分の中で、または大衆の中で気づいているのにタブーにしていること。
一人ひとりが自分自身に負けてしまっているということ。
映画のラストは不倫から抜け出して、自立した女性への一歩を踏み出す、希望的な終わり方だった。
自分もここから一歩踏み出して、自分自身に勝ちたい!と思えるセリフでした。
アメリカの歴史を勉強して感じたこと
ふわふわとした幼少期を過ごしてきたと思う。
困難はなく、ご飯はたっぷりあり、勉強は嫌だった。
そんな世代がわたし達。
民主主義ってめんどくさいシステムだ。
自分の仕事や家族を守っていくだけで精一杯なのに、一国民が政治のことも考えなくてはならない。
民主主義って聞こえはいい。
でもめんどくさい。
めんどくさがっていたら、なんだかふわふわと人生を過ごしてきた。
めんどくさがっていたら投票率は50%を切ったらしい。
スマホで検索するワードでトップニュースが勝手にその人に合わせた内容になってる現代
レストランで隣の席に座った人が、自分と違う星から来た可能性は高い。
そのようにして政治も趣味のように、興味がある人だけが動かしていくような、そんな世界になっていくのだろうか。
ごく一部の人たちだけが。
違う、もう既にそうなりつつある。
表向きは民主主義を掲げている日本
でもその実、独裁に戻っていっているのでは?
東京の霞ヶ関で何が行われているのか、よく分からない。
分からなくても大丈夫、平民は生きています。
だから、なんとかやっていますから選挙へは行きません。
格差が広がりつつありますが、キリスト教会で子ども食堂をしてくれているので、とりあえず食いつなぎました。
大丈夫、選挙へはまだ行かないでいいです。
と、この歳になっても大人になったって感じ全然しないよね〜って言いながら
39歳、二児の母だが選挙へは一度も行ったことがないという人と夏子は一緒に仕事しています。
それでも大丈夫な国、日本。
大丈夫はいつまで続くのだろう。
大丈夫にしている人たちは誰なのだろう。
子育ての前に見ておきたいピノキオ
1940年・アメリカ映画
最近よくディズニーの古典を見返してる。
子どものころはただバンビやピノキオは
怖いから繰り返しは見たくないなー
ってくらいだったんだけど
大人へのメッセージが凄いよ、これ。
子育て世代になった私たちの
背筋を伸ばしてくれるような
親として最低限、心得ておきたい内容で
一口に感動したとか
音楽が素晴らしいとかでは感想にならない
もっと辛口な忠告のような内容が多い
「勇気を持って生き、正直で優しければ
本当の人間にしてあげる」
「物事の善悪を判断するのです」
「良心の声に従って」
って言うんだけど、そこでジミニーが出てきて
「良心とは小さな声で聞こえにくい。それがこの世の中の問題だ」って
この会話凄い😭✨
さらにピノキオへジミニーが
「この世には誘惑が多くてね、間違いなのに正しく思わせたり、正しいのに間違いに見えたり」
とも忠告する。
でもピノキオにはなんのことやら分からない。
だからこのあとめっちゃ騙されるんだけども✋
ジミニーはピノキオの良心になる。
これは一応、家庭教師的な役割で
メリーポピンズ(1964年)みたいなものだけど
メリーポピンズがしに頼りになるブレないプロコーチ的人であるのに対して
ジミニーは結構すぐ怒ったり感情的になったり、女性に惚れたりする
もっと本当の人間というか親に近い性格をしていると思う。
②悪いことって楽しいね
ピノキオは2回、誘惑の言葉に騙される。
1回目は見世物小屋に入れられて
奴隷のように働かされて
ヘロヘロになったら薪にして燃やすからな!みたいなことを言われて
ここで妖精さんが助けてくれるんだけど
この見世物小屋って日本の漫画で
「少女椿」っていう恐ろしいやつあるじゃん。あれ、見世物小屋の話だよね。
奇形、レイプ、人身売買なんでもありの世界がどこまでもグロテスクに描かれたやつだったと思うけど
ピノキオもそーいうところに行きかけたってことなのかな😰おそろしや
話それたけど
2回目は遊園地みたいなところに連れて行かれるんだよね
ここでは食べ飲み放題、ケンカ、器物損壊、飲酒、タバコ、あらゆる犯罪がオッケーなんだよね。(殺人も良かったのかな?)
無法地帯に不良になりかけた子どもたちがいっぱい連れて来られて
とりこになっていくピノキオの吐いた言葉が
んでタバコ吸うし
ちょっと笑ってしまったよね(笑)
結果ロバにされるし。
でも本当、子どもはきちんと愛して導いてあげなきゃなと思うた😭
ちょっと固い話になるけど
イギリスの哲学者ロックさん
タブラ・ラサ=白紙説
っていうのは生まれたばかりの子どもは白紙のようなまっさら状態であるって言ったんだけど
ピノキオは付き合う人によっては
優しくもなったし、悪いこともした
善悪の判断がつかないのは
普通に中学生なってもつかない人もいる
ずっと善悪の判断がつかないまま大人になると
犯罪にはしってしまう。
それを指導する親はどんな育て方をするべきなのか
夫婦で考えるべき問題を提起されたようなそんな映画でした。
子どもはなんでも飛びつく。
歌と踊りが楽しくて、なんとなく勧善懲悪をしていれば子どもはそれだけで
「見せて見せて」となる。
それが良い映画か、そうでないかを判断するのは連れて行って映画代を支払う親だ。
ピノキオは夏子にとってもトラウマ映画
でもトラウマとして子どもに見せておくのもアリじゃないかと。